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ガバナーからのメッセージ  <第6回>

「ロータリーの本(忘れ得ぬ一冊の書)」

 地区大会を無事に終えることができました。ご参加いただいた全てのクラブおよび会員の皆様に心から感謝を申し上げます。
 中島RI会長代理は、卓越したロータリー知識の持ち主で、また人間的にもスケールの大きい方でした。ロータリーは百年の歴史を終え「奉仕の新世紀」を迎えるにあたり、先人の心を訪ねその心をこれからのロータリーに活かすことが必要です。ロータリーの普遍の理念の大切さを改めてご指導頂きました。素晴らしい会長代理をお迎え出来たことは我々にとってこの上なく幸せなことでした。
 また地区大会の目玉として新たに設けました「指導者育成セミナー」のプログラムは、片岡暎子氏、道下俊一PG、田中毅PGを交えて「財団フォーラム」、「新世紀シンポジウム」を開催いたしました。内容や成果につきましては、十分把握をしておりませんが、皆さんから示唆に富んだ内容であったとご好評をいただいております。天候にも恵まれ、ホストクラブの皆様の並々ならぬご努力のおかげで大過なく大会を終えることができました。ありがとうございました。  地区大会終了後の10月27日、私のホームクラブである札幌東ロータリークラブの公式訪問を終え、余すところ函館セントラルクラブのみとなりました。
 思えば7月1日の小樽南RCさんを皮切りに、本当に大勢の方のお世話になりました。どのクラブの皆さんとも精一杯お話をさせていただきましたが、私の力不足で十分お役に立てなかったことをお詫び申し上げます。私が公式訪問で終始申し上げたかったことは、「ロータリーの目的は奉仕の心を育成すること」で、「奉仕はロータリーの目的ではなくロータリアンを訓練する手段である」ということでした。ここで自省の意味でもう少しロータリーの奉仕について振り返ってみたいと思います。

 四国の今治RCに森光繁さんという会員がおられました。昭和26年に「ロータリーの本」というロータリーの綱領についての小冊子を刊行されました。私にロータリーとは何かを教えてくれた貴重な書です。昭和26年というと日本のロータリーが国際ロータリーに復帰したわずか2年後のことです。この本からいかに戦前のロータリアンの質が高かったか伺い知ることが出来ます。綱領は四項目からなっていますが、その中で特に綱領の第三奉仕部門、社会奉仕について、今まで全世界のロータリアンが誰もなしえなかった素晴らしい森氏の所説をご紹介します。
 『綱領の第三に、「ロータリアン全てが、その個人生活、事業生活、および社会生活に常に奉仕の理想を適用すること」とありますが、奉仕の理想を千差万別な、日常生活に適用しようなどということは出来ることではない。なぜなら日常の千差万別な、そして何の脈絡も無く、相互に関連性無く発生する諸現象に奉仕の理想を適用しようと身構えることがそもそも無理なことである。それはあたかもザルで水を掬うようなものである。しかしザルを水の中に入れることはたやすく行うことが出来る。人間の心の世界は無限性を持っているから、これを「奉仕の海」に浸しておくと、心は「奉仕の海」に住んで常住坐臥、奉仕の世界から抜け出ることは出来ない。したがってその心を持って淡々たる行動を日常万般の生活の中で行えば、その行動はおのずから、奉仕の心の実践という形をとる』。
 これが奉仕の心の適用に当たると説くのであります。もう少し徹底して云えば、一切の生活の中に「奉仕の理想」が適用されるというよりも、一切の生活が「奉仕の理想」の中に没入している姿が最も理想的であります。私はこの「奉仕の理想」を今年度のRIのテーマ「超我の奉仕」に置き換えていただきたいのです。

 ステンハマーRI会長は、強調事項の一つに「超我の奉仕」をよく理解して実践してほしいといわれました。「超我の奉仕」を一片の知識(Knowledge)として理解するのなら中学生でも出来ます。よく理解して実践するとはどういうことでしょうか。ステンハマー会長は単なる知識ではなく、智慧(Wisdom)にまで昇華させて欲しいと願っておられます。「超我の奉仕」を智慧にまで高めるとは、具体的にどうすればいいのでしょうか。
 我々には本来の仕事があり、そのほかにロータリーがあるというのは間違っています。つまり我々の仕事や生活の一部分にロータリーがあるのではなく、我々の仕事や生活の基本が「超我の奉仕」の中に無ければなりません。日本のロータリーの始祖、米山梅吉氏の言葉を引用させていただきます。『自分の人生に於いて判断の背後にございますものはロータリーの理論でございます。その理論はどこから来たのかというとロータリーの例会出席を通じてでありまして、その意味でロータリーの例会は人生の道場といえます。私のことをロータリーの米山と呼んでいただいて結構です』。
 森光繁氏のいわれた「奉仕の海」とは、米山さんにとっては、ロータリーの例会のことでした。
 また私は、公式訪問の際困っている人の戸口にそっと物を置いてくるのは立派な奉仕の実践ですが、ロータリーでは困っている人の戸口へそっと物を置いてくることよりも、むしろ困っている人に物を届けるという心の境地のことを奉仕だといいました。「奉仕の心の育成」がロータリーの目的で「奉仕の実践」は奉仕の心を育成する手段です。
 『奉仕の心の無いままに、ただ奉仕を形に現してロータリーを示そうとすればこれは奉仕ではなく寄付であり、慈善行為となってしまいます。奉仕をはじめから何か形で表そうとすることは悪く言えば安易を求めるものであって、決してロータリーの奉仕ではありません。見せたい奉仕、後に残したい奉仕、こんな衝動に駆られる気持ちも分からなくないが、何故奉仕を形にしたいために、どうしてあんなに苦労するのか。その苦労を例会を通じてロータリーの心を育成するための努力にしたらどうだろうか。奉仕がいかに華々しい形で示されてもロータリーの心のこもらぬものならば、その活動は奉仕ではない』これも森光繁氏の言葉です。

 さて社会奉仕ですが、ライオンズクラブは例会のたびに寄付金を集めて団体で金銭奉仕をします。公園に時計搭を寄贈したり、町に救急車を寄付したりします。1917年メルビーン・ジョーンズによりテキサスのダラスで活動を開始し、今日のわが国の多くの地域社会において大変活発な運動を行っているライオンズクラブの奉仕に対し深い敬意を表しながら、一体ロータリーの社会奉仕は、ライオンズクラブのそれとどう違うのでしょうか。
 まず云えることは、ロータリーの社会奉仕活動の資金はニコニコ箱が頼りで事業資金は持っていません。皆さんの払う年会費はクラブの運営費で、奉仕のお金は含んでいません。クラブの大小にもよりますが、大体一クラブあたり年間15万円から30万円くらいがニコニコ箱より割り当てられています。しかしロータリークラブは地域の中から選ばれた職業人の集まりです。その職業人たちが、年間15万円から30万円のお金を地域社会に還元したからといって、果たしてロータリーは奉仕クラブといえるのかという問題があります。実はこのお金は社会奉仕の事業費ではなくて、社会奉仕委員長さんが毎年、地域の中にどのような救済の手を待っているニーズがあるのかを調べる調査費であり、そしてそのニーズを会員に伝え、救済活動の働きかけをする「呼び水」なのです。
 社会奉仕は、クラブ全体でも行いますが、大事なことは金銭による団体奉仕ではなくてロータリアン一人一人の個人奉仕なのです。綱領にあるとおり「ロータリアン全てが、その個人生活、事業生活、および社会生活に常に奉仕の理想を適用すること」なのです。
 ロータリーの社会奉仕は“コミュニティーサービス”の訳語です。コミュニティーサービスを日本語で社会奉仕と訳したものですから、おかしなことになってしまいました。社会奉仕というと、強い立場のものが弱い立場のものに対して何かを施す、恵んであげるというイメージがどうしても伴います。けれども、もともとのコミュニティーサービスは、「良き市民たれ」というのが本筋です。コミュニティーサービスを適当な日本語に訳せないかと考えたときに浮かんだのは、「親身になる」という言葉です。「親身になる」とは「相手の身になる」ことで「友情にあふれた関係」を作ることです。
 「親身になる」ということが、自分の町内で発揮されれば、それがコミュニティーサービスです。お互いに友情あふれたコミュニティーを作ることが社会奉仕なのです。ロータリー運動の中核をなすものすなわち一番大事なものは、何であるかということを、仮に表現したならこのようにいえます。
 自分の住んでいる町や市に対して、親身になれ、商売においても親身になれ、ということを高く掲げて、そのような人に育っていく事を手助けする。一人一人の努力も勿論大切ですけれども、一人より二人、二人より三人が、一緒に励ましあい教えあう中から、そういう「親身になることの喜びを味わえる」人々の和を広げていく事、これがロータリー運動の中核をなすものではなかろうかと思うのです。
 また12月は家族月間です。一般的に家族というと両親、子供、孫といった身近な自分の家族を指します。けれども、ロータリーの云う「ロータリー家族」は、もっと範囲が広くクラブの会員はもちろん、元会員の配偶者、ローターアクターやインターアクター、青少年交換学生などロータリーと関わりのある全ての方々を含むようです。ロータリークラブは家族に似た個人関係を築く一方で、多様性を発揮します。「家族月間」とはロータリークラブが家族のように親しくなるには、更に何をしたらいいのかを考える「月間」にしてください。
 最後になりましたが、会長幹事さんにはあわただしい師走を迎え何かとお忙しいことと存じます。向寒のみぎり、くれぐれもご健康にご留意の上良き新年をお迎えください。

引用文献 森 光繁(ロータリーの本) 森 三郎(私のロータリー)



ポール・ハリスの言葉
Two things seem to me important in my more than three score and ten
years of life−my New England valley and the Rotary Club movement.
“My Road to Rotary”


【私の70余年の人生で大切なものが2つあります。
1つはニューイングランドの谷あいの村、もう一つはロータリー運動です】
“わがロータリーへの道”


ポール・ハリスは『私がロータリーに身を捧げるようになった源を探っていくと、故郷の谷間、村人の人情、宗教や政治に対するおおらかな心遣いにまでさかのぼる。見方によればロータリーは故郷の谷間で産声を上げた』と述懐しています。ポールはニューイングランドのピューリタンの家庭における厳しい躾けや教育というものの大切さ、またあらゆる信条に寛容であることを学び、これを全ての人々に広めようと考えました。こうして今から100年前の2月23日、風の強い凍てついたシカゴの夜にロータリーは呱々の声を上げました。
ロータリーの故郷はポールが少年時代を過ごしたバーモント州の谷あいのウォーリングフォード村でした。



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