Top page

ガバナーの略歴
■ガバナーからのメッセージ
第1回 第2回 第3回 第4回
第5回 第6回 第7回 第8回
第9回 第10回 第11回 第12回
     

05-06年度ガバナー月信
05-06年度地区組織一覧
05-06年度地区目標
05-06年度ガバナー公式訪問日程
Home
 
ガバナーからのメッセージ  <第3回>

 『ロータリアンは青少年の模範』
   青少年はロータリアンの鏡


 会長・幹事の皆様にはお元気でこの夏を過ごされていることと存じます。  私も無事に公式訪問を続けておりますのでご安心ください。ところで9月は「新世代のための月間」であります。この月間中には、ロータリーの提唱するすべての青少年活動に焦点が当てられるべきです。各クラブはロータリーの伝統ある標語「ロータリアンは青少年の模範」という標語をクラブ会報、特に新世代月間中の会報に、また青少年活動についてクラブに報告する時に使うように奨励されています。地域社会の指導者であるロータリアンは、将来を担う若い人々の模範とならなければなりません。青少年の指導力を伸ばし、市民としての責任感を培うことは、ロータリーの青少年活動の変わらぬ目標なのです。  青少年交換はロータリーの青少年活動の中で最も好評なプログラムです。事実地域の人たちがロータリーと最初に出会うのは青少年交換なのです。RI理事会は青少年交換活動の実施に当たり新たに推奨指針を次のように設定しました。  『青少年交換プログラムは、プログラム参加者をめぐる肉体的、性的、精神的な虐待の疑惑問題を防止したり、あるいは適切に対応するために、危機管理活動を強化することが奨励されている』国際協議会のグループセッションにおいてもこの件が取り上げられました。これを受けて各地区で「緊急対策マニュアル」と「セクハラガイドライン」の作成が義務付けられ、野澤地区青少年交換委員長にお願いをしました。全国委員長会議で検討し12月には「虐待とセクハラガイドライン」がまとまる見通しです。このようなことはロータリアンの常識では考えられないことです。交換事業のイメージがダウンすることを恐れます。  しかし最悪の事態を勘案して受け入れ、派遣国双方が万一に備えてこのような防止策を協議し、取り決めておくことはむしろ今後の青少年交換事業に信頼性をもたらすことになるでしょう。またこの問題は単に青少年交換委員会の問題だけではなく新世代委員会全般にかかわる問題でもあります。ガイドラインが決まりましたら直ちにクラブ会長・幹事さん宛てにお送りする予定です。

 ロータリアンは地域社会の指導者として青少年の模範でなければなりません。しかしまたロータリアン自身、少年の心を失ってはならないのです。  ポール・ハリスに『わがロータリーへの道』という晩年に書かれた著書があります。この自叙伝は主としてロータリーの故郷、ウォーリングフォードにおける少年時代の思い出が生き生きと綴られています。序文は次のように書かれています。「私の70余年の人生で大切なものが2つあります。1つは古里ニューイングランドの谷間、もう1つはロータリー運動です。私がロータリーに身をささげるようになった源を探っていくと、谷あいの故郷、村人の人情や宗教や政治に関するおおらかな心にまで遡ることが出来ます」。そして彼の幼少時代を過ごしたバーモントの小さな村の自然、山や河や池、ピューリタンの末裔である祖父母との慎ましやかな暮らし振りを懐かしく書き連ねております。その彼がシカゴの町で弁護士を開業しました。「弁護士の看板を出すことはやさしいが、まさか完全に無視されるとは思いませんでした。もちろんお客はぜんぜん来ませんでした。石の上にも3年、どうにか仕事は軌道に乗りました。私には大切なものが1つ欠けていました。友達でした。シカゴの町には溢れるほどの人がいる。しかし自分には1人の友もいない。非常に淋しい、恐ろしいほどの孤独感に襲われました」。シカゴは人の心の砂漠でした。そこで同じ孤独感に悩まされている3人の仲間と作ったのがロータリークラブでした。ロータリーの原点はここにあります。「ロータリーが会員を導いていく方法の一つは彼らの気持ちの中に少年時代の心を残すことです。善良な人の心の中には、少年時代のことが焼きついています。少年時代には、人生を見る目は素晴らしいもので、清らかな眼で偏見は無く、寛容で熱意と友情に溢れています。少年の心を失ったといわれることは悲しいことです。少年時代の心を失わなければ、老化現象は起きません。ロータリーは少年時代の心を忘れずに発展向上を目指す団体です」。  しかし年齢とともにそういった少年の心が失せていくことは悲しいけれども事実です。今ロータリーの文献、資料の中には奉仕という文字はいたるところにありますが、フェローシップ(親睦)は見当たらなくなりました。しかしロータリーの発生時にあったものは温かい仲間意識でした。決して奉仕の理想ではありませんでした。ロータリークラブが奉仕団体だというのは1911年頃から意識されたことです。現在のロータリーはボランティア団体として組織の管理・運営が主体で少年の心などと言う言葉自体失われてしまいました。『ロータリアンは青少年の模範』でなければなりません。同時に純粋でみずみずしかった我が少年時代の心を老いさせてはなりません。その意味で『青少年はロータリアンの鏡』であります。悩める青少年に暖かい手を差し伸べる、その手を差し伸べることにより救われるのはむしろロータリアンのほうなのです。

 私はかねてよりロータリーの古里をたずねてみたいと思っておりました。1996年、ポール・ハリス没後50周年の記念追悼集会が、シカゴのマウントホープ墓地で開かれました。そこへの出席を機会にロータリーの故郷、ニューイングランド・バーモント州・ウォーリングフォードを訪ねることが出来ました。  創始者が幼少時代を過ごしたニューイングランドの谷間には、当時の由緒ある建造物や、村の人々の人情がそのまま残されていました。ポールがはじめてA.B.Cを習った「赤い小さな小学校」、初めて泳ぎを覚えたフォックス池、父と一緒に鱒釣りにいったチャイルド川、毎週日曜日に礼拝に連れて行かれたコングリゲーション教会などポールの子供のときのままタイムスリップしたように村のたたずまいは変わっていません。「赤い小さな小学校」はすでにポール・ハリス記念財団によって維持され今はウォーリングフォードロータリークラブの例会場となっています。昔、国際協議会がニューヨーク州のレークプラシッドで開かれていたとき、研修に参加する世界中のガバナーエレクト達が往路、復路の際この村を表敬訪問しました。村人は彼らを温かくもてなし、彼らはロータリーの古里の人情を肌で体験しました。しかしただ一つ彼らが見ることが出来なかった場所があります。  それは赤い小学校の隣に1853年に建てられた祖父母の家でした。この家こそがポールが3歳のときから大学に入学するまで過ごした、彼の人格形成上かけがえの無い神聖な記念すべき家でした。風格のある家でポールの自伝には「我が家は大邸宅ではありませんが、それでも14部屋もあり…」と紹介されています。現在の住人が訪問者を嫌うという噂があり、今まで、ロータリアンも外観を見るだけで中を見た人はありませんでした。たまたま祖父母の家の真向かいにある宿のマダムの口利きで祖父の家に現在住まいしているご夫婦が家の中を案内してくれるという予期せぬ申し出がありました。その家のご主人マーカスさんは個人資産の鑑定人で家の中には時計、銀器など骨董品が溢れていました。そこで見ず知らずのものがなぜ招待されたのか謎が解けました。昼間宿で旅装を解いたとき話し好きのマダムと古いマイセンの話などしたので骨董好きの日本人と思われたらしく、そこで骨董鑑定人のマーカスさんに紹介してくれました。  ポールが「懐かしい家の面影は終生消えることはありません」と述懐した静かに年を重ねた旧家‥‥ポールの寝室、食堂などを案内されました。時を超えて、今にも少年ポールが隣の部屋から元気に走り出てくるような気がしました。家の壁紙は何度か張り替えられたでしょう。しかし昔からあるドアや窓はロータリーの創始者の少年時代を優しく見守ってきたことでしょう。ロータリーの歴史的な遺産を快く見せてくれたマーカス夫妻に心よりお礼を申し上げます。  因みに近年ガバナーエレクトの国際協議会はロータリーの古里から遠く離れた西海岸に移りました。そのためポールが少年時代を過ごしたウォーリングフォードの村を訪れるロータリアンが少なくなったことは残念です。  最後になりましたが、会長・幹事さんのご健康を祈念いたします。

参考文献 佐藤千寿氏(不易流行) 小堀憲助氏(ロータリー運動)


PAGE TOP | Home