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ガバナーからのメッセージ  <第4回>

 今こそ職業奉仕を!

 はや夏も過ぎ爽やかな仲秋の候となりました。会長・幹事の皆さんにはお変わりありませんか。いつも地区の運営にご協力をいただきありがとうございます。私も73クラブのうち約3分の2の公式訪問を無事に終えることが出来ました。温かい心のこもった歓迎を賜り、おおぜいの方々と奉仕の機会として知り合いを深めることが出来、ロータリーの功徳を身にしみて感謝しております。
 さて10月は職業奉仕月間であります。わたしは今年の地区重点方針の一つに職業奉仕の再構築をお願いしました。そこでロータリーの職業奉仕と云う概念はどのようにして生まれたのか、その背景を振り返って見ましょう。

 日本のロータリーの始祖は、米山梅吉氏であります。三男の桂三さんが慶応大学の教授になり、「父米山梅吉を語る」という手記の中でロータリー運動について次のように語っています。『ロータリー運動とは、社会・経済史的に見ると、資本主義の発達という歴史的必然と、資本主義の欠陥を救おうとする人物の出現という歴史的偶然との交錯したところに生まれた運動である』
 1880年頃から、20世紀初頭にかけてアメリカにおける資本主義は、独占体制の段階に入りました。 そうなると資本主義の欠陥がいたるところに姿を現しました。そのような時代にあっては、健全な中産階級の中から社会改良思想が生まれてくるのは、けだし当然のことで、ポールハリスが、三人の友人と語らって何か世の中のためになるような集まりを作ろうじゃないかと、ロータリークラブを作った1905年が、ちょうど初期資本主義が最盛期を迎えた年だったということが、私には大変に興味深いのです。なぜならロータリーは、誕生のその時から資本主義の欠陥を救う運命にあったのだなと私流に解釈をしています。

 では19世紀の末葉から20世紀初頭にかけてアメリカのシカゴには、どのような欠陥があったのでしょうか。資本家が政治・経済の主導権を握り、私利私欲中心の拝金主義が横行し、貧富の差の拡大により、スラム街がいたるところに姿を現し、シカゴは伝染病や犯罪の温床となり商業倫理の欠如の上にいたずらな繁栄が築かれておりました。シカゴはまさに弱肉強食の街でした。
 このようなときには、中産階級の中から様々な社会改良運動が起こりました。まずセッツルメント運動ですが、これはジャン・アダムスの始めたハルハウスが有名です。これはスラム街の中に拠点を移し、そこで貧民の厚生運動をするものです。他にはアル・カポネが暗躍していた当時の風潮を反映して女性キリスト教禁酒同盟や、反酒場連盟が結成されたり、貧民に無関心であった教会も社会福音運動を展開し始めました。また救世軍活動や、YMCA、YWCAその他多くの慈善団体が現れました。
 ロータリーはこのようなときに当たり、病める都市シカゴを救うために、どのような処方箋を書いたのでしょうか。ロータリーは特定の事業を標榜する奉仕団体ではなく、奉仕を志す人の集まりです。20世紀初頭の混沌としたシカゴで、ロータリーが目指した社会改良の処方箋とは、社会の基である個人の心を教化することだったのです。ロータリーは、人間の徳性の向上が人類社会発展の 基本であることを信じて疑わないのです。ロータリーは一業一会員制によって選ばれた地域社会の中で最も特性を重んじる職業人が、毎週一回の例会で親睦のうちに各自の識見の広さと判断力を強化して、それにより社会を改良しようというものです。ロータリーは、資本主義の病を治すのに個々の人の徳性を向上させることにより、根本的、本質的に病根を治療しようとするものなのです。
 では1905年の草創期に当たって一握りのロータリアン達は具体的に一体何をしようとしたのでしょうか。彼らもまた資本主義の中で生活をしなければならないのであるから、まずその激烈な商業上の生存競争に勝利者たる栄冠を得なければならなかったのです。そこでこれらの人々がロータリー運動に参加したのは、親睦の場であるクラブの例会に彼らの企業上の問題を持ち込み、衆知を集めてその改善策を練り、それによって劣悪な資本家との競争に打ち勝とうとしたのです。ただここで注目すべき点は、彼らはその競争の手段としてあくまでも正直、勤勉を前提とし、友愛を根本として企業経営を行い、商業道徳をあげるということに専念しました。そしてその商業道徳の高揚による運動が、やがて自己の企業に利益をもたらし、資本主義の世界で勝利者となっていきました。つまりロータリー運動は、その根底において自己の発展を目的とする実践活動であることが明らかになるとともに、その実践活動の指導原理として、正直、勤勉、犠牲、献身、他人に対する思いやりといったような平凡な原則を心の中に常時温存しようとするものです。アメリカ人は出世物語が大好きです。それでロータリー運動は20世紀初頭の貧乏商人の出世物語とも言われました。ここでその具体的な例を一つ挙げてみましょう。

 1930年、フーバー大統領のときアメリカ経済界は大恐慌に見舞われ、その影響は世界中に及びました。資本主義の過剰生産がもとで、銀行のとりつけ騒ぎが起こり、倒産、破産は数知れず、人々は職を失い家を失いました。しかしそのような大恐慌の中にあっても、ごく少数の人たちは何とか倒産を免れ、仕事を続けておりました。それらの人々はみな胸に見慣れない歯車のバッジを付けていました。彼らに何故この栄枯盛衰常なきとき、安定した企業を続けてこられたのかと聞くと、自分たちはロータリアンであり、ロータリーの教えを守って商売をしている。その教えとは「最もよく奉仕するもの、最も多く報いられる」、「超我の奉仕」というモットーであり、他人に対する思いやりの心ですと答えました。そのときのロータリアンが偉かったのは、不況の最中自分の企業を守ったばかりか、不況で倒れた同業者の救済に乗り出したのです。そればかりか32代大統領ルーズベルトのニューディール政策にも企業倫理基準高揚のため献身的に参加しました。そしてこのときからロータリーの職業奉仕は、不況に強い哲学だと評判になり、ロータリーへの入会者は引きも切らない有様でした。職業奉仕の哲学は資本主義社会の中で、ロータリアンにも非ロータリアンにも、共にベネフィットを与える普遍の真理となったのです。

 それから75年後の今、バブル崩壊後の日本は大不況にあえいでいます。情報革命を経て地球経済は一つになり産業構造は大きく変わり、資本主義は資本の論理により巨大化しました。もはや当の主体である人間の意志を離れ市場経済、多国籍企業という暴れ馬が怒涛のように世界を瞬時に駆け巡っています。いくら投機的な商業活動を罪悪視しても国際規模に巻き込まれてしまった我々はどのように行動することが合理的であり倫理的・良心的なのでしょうか。我々は新たな職業奉仕の基準をつくらねばならないのでしょうか。もはやロータリーの職業奉仕は色褪せてしまったのでしょうか。いや、ロータリーの職業奉仕の理念は資本主義社会が続く限り普遍の真理です。職業倫理と資本主義は車の両輪です。資本の論理だけの社会には人は住めません。

 混沌とした今の時代に舵を取らねばならぬ企業経営者は孤独な決断を強いられます。正しい方向に進路をとり、足並みそろえてことに当たらなければ船は難破しかねません。トップの決断は会社の命運を担います。企業経営者の拠り所は職業奉仕に徹する事、つまり【顧客の信頼を貫き通すこと】そして【超我の奉仕】というロータリーテーマの実践にあります。大切な顧客の信頼を裏切れば手痛いダメージを受け企業の存亡は危うくなります。
 “ロータリー新世紀”を迎えロータリーがかつての栄光を取り戻し、生き延びるためには、今こそ自己の企業と地域社会に大きく貢献できるロータリーの職業奉仕を再構築する事が急務です。

参考文献 米山桂三氏(ロータリーと父米山梅吉)


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