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ガバナーメッセージ  <第8回>

ロータリー創立記念日に、ロータリーを振り返る

 2月といえば、当地・札幌は雪まつり。今年で60回目になります。人間でいえば還暦です。私が還暦を迎え る前、ホームクラブで提唱していたローターアクトの若者たちと一緒に大通公園の会場で雪像を作ったのを思 い出します。「第11師団友の会」の関係で真駒内会場にも立ち寄れましたが、今では自衛隊前の会場自体が移 転してしまいました。人間同様、イベントも60年生き長らえるに変化しないことはありません。
 ロータリー・クラブができて、今月で104年です。白寿から5年経ちました。ポール・ハリスさんは明治元 年生まれ。生きていれば140歳です。
 何年か前、ポール・ハリスさんのお墓へ行ってきました。米国・シカゴにあります。自分の親の墓参りもそ こそこに外国人の墓参とはと、身内に嘆かれたものです。当家の菩提寺は、岐阜県の大垣にあります。その寺 は、所郁太郎の墓を守っています。この人物、幕末の志士です。司馬遼太郎の「美濃浪人」という作品にも登 場します。元は矢橋郁太郎といいまして、私の遠縁にあたります。幕末の志士といっても、知ってる人の方が 珍しい、知る人ぞ知る志士です。私もよく知っているわけではありません。なんでも井上馨の怪我を治療した 医師でもあったそうです。そんな地味な志士のお墓ですが、幕末ファンにとってはかなりな史蹟になるそうで、 お寺では記念撮影に訪れる愛好家をよく見かけます。ポール・ハリスさんのお墓も、同じようなものです。マ ウント・ホープ墓地をうろつく日本人が、地元の方々にどう映るかは別にして、「ロータリーの歴史と伝統の 会」の一員としてはこれほどの史蹟はないわけです。
 会ったことのないひとのお墓をお参りする動機に、シカゴでも岐阜でも差はありません。会ったことがない、 会えなかったひとだからこそ、敬愛の念は強まります。幕末ファンとの違いは、同じロータリアンとして、創 設者への敬意が加わる点でしょうか。それも、ロータリー・クラブへ入れたからこそ。
 私は一度、札幌西ロータリー・クラブへの入会を断られました。いまだに、何故拒否されたのか、わかりま せん。当時はただ、審査の結果入会が認められなかった、としか伝えられませんでした。思い当たるフシはあ りません。さしあたって悪事を働いた覚えは無いし、恨みを買うような振る舞いをするタイプでもありません。 考えられるとすれば、一業種一会員の原則に触れていたのか。当時の区域限界は明確なものでした。私の自宅 と会社では、札幌西ロータリー・クラブ以外に入会を申請できません。ロータリーに入りたければ引っ越すか、 ひたすら札幌西ロータリー・クラブが入れてくれるのを待つかしかないわけです。
 私の父は、岐阜で大垣ロータリー・クラブの創設幹事を務めました。幼少の頃、自宅で「奉仕の理想」をレ コードで聴いた記憶もあります。父は電車を乗り継いで名古屋や三重までメーキャップに走っていました。チ ャーターナイトに呼ばれれば、その土地の特産品を山ほど土産に持たされて帰ってきたものです。父の話から、 ロータリーとは地域で立派に仕事をしている職業人の集まりだということはわかっていました。同時に、将来 自分もロータリーに入れるようになりたいものだと考えたものでした。入会を申請した頃、若くはありました が業界内での仕事も任されていました。今思えば夢のような、右肩上がりの経済環境を享受し、商売は順調で した。そんな折、審査にはねられてみて、ロータリーとは斯くも敷居の高い団体かと思い知らされました。ど うしたら自分はロータリーへの入会を認めてもらえるのだろうかと、悩んだものです。再び入会申請に踏み切 るまで2、3年かかりました。ようやく入会が認められたのが1979年、45歳のときです。
 一業種一会員だった頃のロータリーを懐かしむ方の話をよく聞きます。メーキャップが前後1週間だった頃 のロータリーを懐かしむ方も時折、見受けます。雪まつりが60年で変化しているのだから、100年を超えたロ ータリーが変わらないわけがない。でも私は、私をロータリアンとして認めるにはまだ早いとはねつけた30 年前のロータリーを、懐かしく思います。




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