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ガバナーメッセージ <第5回>
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ロータリー財団は車輪の片方
1917年、国際ロータリー会長アーチ C. クランフ氏によって「世界でよいことをするために」基金の設置を提
案され、1917年に26ドル50セントの最初の寄付が贈られました。1928年、5,000ドルにまで成長したこの基金は
「ロータリー財団」と名づけられ、国際ロータリーから独立した別機関となりました。現在までに、財団には、
総額10億ドル以上の寄付が寄せられています。
財団としての最初の仕事は1930年に補助金500ドルを国際障害児協会へ授与しました。
これと同じ年には最初の財団プログラム(後の国際親善奨学金)が設置されました。1956年から1966年の間
には、研究グループ交換(GSE)、技術研修奨学金、活動補助金(後のマッチング・グラント)の3つの新し
いプログラムが開始されました。1978年には保健、飢餓追放、人間性尊重(3−H)補助金プログラム、1980年に
はロータリー・ボランティア・プログラムが設置されました。1984−85年度にはポリオ・プラスの設置が発表
され、その翌年、大学教員のためのロータリー補助金が設けられました。1987−88年度には初の平和フォーラ
ムが開催され、これが財団の平和および紛争解決研究プログラムの創設のきっかけとなりました。こうして、
事業が推進されているのは世界中のロータリアンによる積極的な力強い支援と参加のおかげなのです。
この財団の制度により24歳の時に、女性として日本で最初のロータリー財団フェローに選ばれ、ワシントン
D.C.にあるジョージタウン大学で国際政治学を学んだ緒方貞子氏はロータリアンの記憶するところです。緒方
貞子氏は帰国後、上智大学教授をへて、1969年に国連ゼネラル・アッセンブリーの代表になったことに始まり、
1971年には日本の国連代表部公使に就任、その後ユニセフの実行委員会委員長や国連人権委員会における日本
の代表、そして、1991年に国連から女性で最初の難民高等弁務官に選任されました。緒方貞子氏の言葉を引用
します「人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのが好奇心です。常に問題を求
め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。仕事の環境に文句を言う人はたくさんいますが、開か
れた頭で何かを求めていく姿勢がなければなりません。私が国連難民高等弁務官に就任し、組織改革と職員の
能力向上プログラムに取り組んでから6年半になります。私は国連機関をサービス機関だと考えています。世
界に対してサービスを提供するのが役割ですから、役に立つサービスをしなければ存在意義はありません」
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(「私の仕事」草思社、緒方貞子から引用) |
このように素晴らしい逸材を生み出すのがロータリー財団プログラムです。ロータリーの主たるプログラム
はロータリー財団なしでは存在しなかったと云えるでしょう。今やロータリーを牽引する一方の車輪となって
いるのです。そしてこれを支えるのがロータリークラブの会員ひとり一人なのです。あなたの1 0 0 ドルが支え
ているのです。
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